素敵な運動会ほか(6月11日)

町長室

町民のみなさまへ

町長の顔

 Y君とAちゃんの素敵な運動会(6月11日)

 6月は運動会シーズンです。6月4日の訓子府中学校運動会から始まり12日は訓子府小学校と居武士小学校の運動会が好天の中で行われました。
 私の体験からも運動会の応援をしながら「親としての喜び」を幾度も体験する事が出来ました。今月の11日、私は初めて北海道帯広盲学校の運動会へ教育長と管理課長と共に応援・参加してきました。それは全校生徒26名の児童の中に本町から昨春入学したY君とこの春入学したAちゃんを応援したいの一心からでかける気持ちになりました。
 わが町の子ども達はどの子も「宝」、懸命に走り踊る二人の子ども、ご両親や家族の方、そして教職員やボランティアの方がひとつになって運動会を盛り立てる姿に感動し、いつの間にか私も競技やフォークダンスの輪の中に入っていました。
 早朝から応援に駆け付けた訓子府幼稚園のM先生も一緒になって子ども達の成長におしみない拍手を送っていました。ごく当たり前の私の応援は校長先生から「子ども達が生活する町の町長さんが参加してくれたのは初めての事です」と感謝されましたがやはり複雑な心境になりました。
 私こそが勉強をさせていただき感激をたくさんいただきました。帰り際、ご両親にお別れの挨拶をしたところ、お母さんの目にキラリと光るものがありました。もっと大勢の方が応援に駆け付けてくれたら…、そんなおもいで帰ってきました。
運動会

 

 またまたの降雹被害に愕然(がくぜん)として(6月12日)

 6月10日の夕方、庁舎の窓から見える空は真っ黒い雲が立ち込めてあたり一面が暗く、急に雨足が強くなってきました。
 「上常呂に雹が降っている」「10センチは積もっているようです」の声と共に、役場職員は転がるようにして現場へ飛んでいきました。畑や道路、河川、水路の現場確認の報告が次々と入って、いつの間にか庁舎にも雨交じりの雹が降っていました。
 やがて職員が現場で撮った写真を見せてくれたがそのすざましさに愕然とし、畑にたたずむ新婚夫婦の姿がいたいたしくて…。6月12日午後、運動会や青年行事の会場を離れ、帽子、つなぎ姿、長靴姿で被災地区に向かって車を走らせました。
 「町長みてくれや」「今年は順調に育ってきたのに」と失意の言葉が次々と聞かされました。茎が折れた玉ねぎ、葉がちぎられたビートやジャガイモ、河川からあふれた水が、田畑をかん水、流れ出た泥流にひたすらシャッターを切るしかできない自分の無力さを思い知らされました。
 毎年のようにもたらすこうした自然災害、何としても最小限の被害にとどまってほしいと願い、行政がやるべきこと、支援できること課題は山積、私のできることは「町民を励まし続けること」を肝に命じ家路につきました。
降ひょう

 

 東アジアの青年リーダー26名に魅せられて(6月13日)

 外務省の外郭団体JENESYS・国際交流基金の紹介で東アジアの若者26名が来町された。
 インド、中国、韓国、オーストラリア、ラオス、ベトナムの政府関係者、NPO、NGO団体の青年リーダーが北海道農業の縮図とも言われる訓子府町へ農業視察を目的に来られた。
 私は「訓子府のまちづくり」を始め「地方自治」「農業委員会制度」「農村社会教育」さらに「有機農業」「スノーマーチ」について1時間ほど話をさせていただいた。私の一方的な話、少々専門的な憲法や地方自治の条文解説などを数名の通訳の方が、同時通訳する雰囲気は初めての体験でした。彼らは本当に私の話を理解する事ができたのだろうかと半信半疑で質問を受けたのですが、私の予想をはるかに超える艦砲射撃のような質問に驚きながらも嬉しくてなりませんでした。
 「無農薬の基準は」「町の収入はどれぐらいで、どのように使われているのか」「ベトナムに訪問してくれたが感想は」「農業の課題は何か」等々、盛りだくさんである。私は最後に「TPPやEPA・FTA等、農業に与える影響は深刻だ。是非、日本の若者たちと交流し議論をしていただきたい」「訓子府は素晴らしい農業と、素晴らしい農民がいる町」「たくさん学んで、日本を訓子府を知ってほしい!」とラブコールを送りました。
 帰り際に撮った記念写真、そしてたくさんのお土産と握手、笑顔をいただくことができました。私にとりましても「一期一会」「出逢いは永遠の薫り」となりました。
東南アジアからの皆さん