東日本大震災被災地を歩いて(5月)

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町民のみなさまへ

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2011年5月30日(月)

東日本大震災被災地釜石市と大槌町を歩いて

 2期目の町長就任から一か月が経過しました。5月2日職員から花束をいただき全職員へ「町民にやさしいまちづくり」についての指針を申し上げ、ただちに岩手県へ自家用車で出かけました。深夜、苫小牧からフェリーに乗船、早朝青森港へ到着、東北自動車道を南下し盛岡市の親類宅に立ち寄り「現職の町長として被災地の現状をこの目でたしかめたい」と希望を述べタクシー借り上げで釜石市と大槌町に出向きました。
 鉄の町・釜石の商店街はアーケードの上部まで激流が走り悲惨ながれきの山や崩壊した商店街を目の当たりにしてただただ驚きで夢遊病のごとく歩き回っていました。そして町の市街地のすべてが崩壊した大槌町へ向かいました。巨大砂防ダムや防波堤が倒壊した現場、押しつぶされた家屋や車、美しいリアス海岸は荒廃した焼野原の被災状況、骨組みしかない農協ビルや幼稚園、園児の靴や教材が散乱する現場。がれきの処理や遺体捜索など疲れ切った自衛隊員。私は加藤町長が遺体で発見された場所でただただ手を合わすことしかできませんでした。
 宿泊した花巻温泉は色鮮やかな八重桜が満開でしたが、厳しい災害救助や被災支援の任務についている神奈川県警、広島消防レスキュー隊員の皆さんと同じホテルになりました。夜7時に到着した数百人の隊員は翌朝、7時30分には全員が被災地に向かいました。テレビではわからないこうした状況、さらに自治体職員、農協職員から悲惨な被害状況の話を聞くことができました。
 改めて安全、安心の防災、体制整備と絶対安全とされていた福島原発と、脱原子力から新しいエネルギー政策の構築、何よりも住民の命を守り励まし続ける自治体職員の役割、重要性を命を削りながら奮闘する職員を見つめながら多くを学ぶことができました。被災地の現状を見ながら行財政改革のもとであまりにも職員数の削減を推進してきたことも一考を要すると思えてなりませんでした。一日も早い被災地の復興と住民が普通の生活にもどれるようにわがまちなりの支援を進めてまいります。

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